
はじまりは、懐かしい味と “ないなら楽しみながら作る” の知恵から

◆◆3回折るだけでサックサク! バター不使用 チャイニーズミートパイ
横浜中華街が身近な存在だった子ども時代。家族で訪れるたびに出会っていた点心は、私にとって「特別なごちそう」であり、「食の楽しみの原点」でもありました。
その後、父の転勤で南米へ。現地の学校に通いながら、英語・現地語、そして家庭では日本語が入り交じる毎日を過ごしました。
そんな生活の中、恋しくなったのはやっぱり日本の味。町に1軒しかない日本食材店への週末の買い出しや、手に入りにくい食材を工夫して毎日お弁当を作ってくれる母やご家族たちの姿から、「作ることって楽しい。工夫すれば、どこにいてもおいしくできる」と教わりました。

◆◆お誕生日会では持ち寄りパーティーが定番。今日は太巻きがずらっと並びます。どれから食べようか狙っているような私(笑)
当時は日本人学校もないほどの少ない日本人コミュニティの中、お花見や七夕といった日本の行事を楽しむ会が時々開催されていました。かすかな記憶をたどると、参加者が日本スタイルのお菓子や漬物、乳酸菌飲料や海苔巻きなどの料理を作って持ち寄る、そんな会だったような気がします。
当日は小学生の私にも馴染みのある料理がずらっとテーブルに並び、思い切り日本語が話せるので、とても楽しみにしていました。
子供たちだけでなく大人も簡単に日本語を忘れてしまうので、貴重な会でした。
そんな中、ある日系一世の方が言った
「大丈夫よ、ないものは作ればいいのよ」
という言葉は、“作ることの大変さ”ではなく、“作れることの楽しさ”と“工夫する喜び”を教えてくれた、私の大切な宝物です。
世界3地域をめぐって気づいた「粉」と「発酵」のつながり

◆◆ 縁起のいい中国結びで作る!幸せの白雪花巻
帰国後、日本で学業を修め、就職します。時は流れて、今度は自分が母親として家族とともに中国・アメリカへ。
8年間の海外生活では、現地の食材や文化を取り入れながら「日本の味を家庭で再現する」ことを続けてきました。
どんな国でも材料が手に入りやすく、食卓に笑顔が生まれる「粉もの料理」は、私にとって安心できる存在。
中国では本場の点心に感動し、アメリカでは映画に登場するようなアメリカンチャイニーズを家庭でアレンジ。
ハロウィーンやサンクスギビングなど、南米の小学校でのイベントが思い出されることが多く、現地らしい食や文化についてお料理を教えてくださったご近所の友人とともに楽しみました。
見出しがあるといいですね

◆◆全校児童はどう思い出しても40人ほど。毎月のように行われるイベントは家族総出で行われていました。この写真はハロウィンの時のもの。とりあえずプリンセスに変身(笑)手に持っているのは当時流行っていた「ワニのアーガイル」のイラストを描いたTrick or Treatのお菓子を入れる自作の紙袋!
同時に、いずれ帰国した時には、逆にいま日常となっている味やモノ、ことは手に入りにくいものになっていくということにも、幼いころの経験から気づいていました。
そこで、今度は現地のレシピ本やテレビの料理番組から季節の食品、習慣から街の行事、スーパーや食品ブランドの名前など、生活の中で気になるもののファイリングを始めました。
その甲斐もあり、実は子供のころ、南米で使っていたお菓子やクリームのブランドは、実は中国でもアメリカでもロゴを同じくして使われていたり、名前が変わっていたりということに気づきました。少し広い視野を持ってみると物流といった視点からも食品を見る機会となりました。
そして日本に帰国後は、改めて和の発酵文化と点心の融合の面白さに魅了され、現在も全国の蔵や郷土食を訪ね歩いています。
経歴

◆◆プリプリ食感がたまらない!フリルがおいしい花弁水餃子
- 大手料理教室にてパンとケーキ講師資格取得
- ホシノ天然酵母パン店にて製造・教室アシスタント
- 中国政府 労働和社会保障部認定中国茶中級評茶員(中国にて取得)
- Wilton Method Course 1~3 修了(アメリカにて取得)
- 食品衛生責任者
- NPO法人中国茶文化協会認定 中級中国茶アドバイザー
- 豆腐マイスター/乾物マジックマスター/米粉パンマイスター
- 発酵食品ソムリエ/しろたまりマエストロ/和食文化継承リーダー
最近の私

◆◆木桶作りで一番大切なことは何年もかけて素材の準備をすることだそうです。新しい木桶はこれから100年以上味噌醤油作りに活躍してくれます。
- 国内向けに「粉から始まる発酵×点心」オンライン教室主宰
- 訪日外国人向けに「家庭和食の体験クラス主宰(Home Cooking Experiences with Japanese Fermented Seasonings for Visitors )
パン・点心・中華料理・乾物の講習会に積極的に参加し、学びを継続中
「糀のある食生活」を中心に、日々の食卓やレッスンに役立つレシピを開発しています。
関東育ちゆえに、勝手に「全国がわがふるさと」宣言して、各地の発酵食品や地元の名産、を訪ねて食べるフィールドワークを展開中。
さらに、発酵調味料を使った和食を英語で語れるように、日々「発酵英語」を学習中。
100年前にアメリカ西海岸で暮らしていた祖父の写真が見つかってから思うこと

◆◆今ある木桶の継承は、現代の人たちだけでなく、100年後にも味が継承されていくようにと願いが込められています。
数年前、実家にあった古いアルバムの中から、古いアメリカのハイスクールの学年の集合写真が見つかりました。

当時、日本では多くの長男以外の男性は自活の道を選ばなければならない時代で、4男の祖父は多くの同世代の若者と一緒にアメリカ向け移民船に乗って、西海岸を目指していました。
アメリカ西海岸の日本人会やお寺関係の斡旋から、ファーマーボーイとして現地の農地主への配属が決まったようです。祖父は、当時10代後半。農業のお手伝いをしつつ、現地のハイスクールの卒業年度の旗が写真から見ることができます。(ロスアンゼルスの高校、1914年度卒業という旗が見えます)こちらは現地のハイスクールを捜索中。

こちらはロスアンゼルスの東本願寺で撮られた写真。見る限り、一つのグループでかなりの人数の日本人コミュニティーがあったと思われます。となると、全員が全く日本食が全く食べられないという環境は考えにくく、和食の調味料も手に入ったり、現地の作ったのでは?と推測されます。
そこで約10年を過ごし、一時帰国している間に移民禁止法が施行され、再入国がかなわず本帰国。

こんなファミリーストーリーが見つかって以来、1900年代初頭、多くの日系移民の方々がどんな食生活を送られていたのかとても興味が湧いてきました。直接話を聞く機会はありませんでしたが、海外生活の中でどうやって日本食を食べていたのか聞いてみたかったです。
「ないことを楽しんで作ってみる。作れば食卓がもっと楽しくなる。」
そんな一歩を、一緒に始めてみませんか?
◆◆もう少しだけ熱いメッセージを送ってみませんか~