Ys Table 主宰の
おおきもとようこです

はじまりは、懐かしい味と “ないなら楽しみながら作る” の知恵から

3回折るだけでサックサク!
バター不使用 チャイニーズミートパイ
横浜中華街が身近な存在だった子ども時代。家族で訪れるたびに出会っていた点心は、私にとって「特別なごちそう」であり、「食の楽しみの原点」でもありました。
その後、父の転勤で南米へ。現地の学校に通いながら、英語・現地語、そして家庭では日本語が入り交じる毎日を過ごしました。
そんな生活の中、恋しくなったのはやっぱり日本の味。町に1軒しかない日本食材店への週末の買い出しや、手に入りにくい食材を工夫して毎日お弁当を作ってくれる母やご家族たちの姿から、「作ることって楽しい。工夫すれば、どこにいてもおいしくできる」と教わりました。

お誕生日会では持ち寄りパーティーが定番。
今日は太巻きがずらっと並びます。
どれから食べようか狙っているような私(笑)
当時は日本人学校もないほどの少ない日本人コミュニティの中、お花見や七夕といった日本の行事を楽しむ会が時々開催されていました。かすかな記憶をたどると、参加者が日本スタイルのお菓子や漬物、乳酸菌飲料や海苔巻きなどの料理を作って持ち寄る、そんな会だったような気がします。
当日は小学生の私でも馴染みのある料理がずらっとテーブルに並び、思い切り日本語が話せるので、とても楽しみにしていました。
子供たちだけでなく大人も簡単に日本語を忘れてしまうので、貴重な会でした。
そんな中、ある日系一世の方が言った
「大丈夫よ、ないものは作ればいいのよ」
という言葉は、“作ることの大変さ”ではなく、“作れることの楽しさ”と“工夫する喜び”を教えてくれた、私の大切な宝物です。
世界3地域をめぐって気づいた「粉」と「発酵」のつながり

縁起のいい中国結びで作る!幸せの白雪花巻
時は流れて、今度は自分が母親として家族とともに中国・アメリカへ。
8年間の海外生活では、現地の食材や文化を取り入れながら「日本の味を家庭で再現する」ことを続けてきました。
どんな国でも材料が手に入りやすく、食卓に笑顔が生まれる「粉もの料理」は、パン講師だった私にとって安心できる存在。
中国では本場の点心に感動し、アメリカでは映画に登場するようなアメリカンチャイニーズを家庭でアレンジ。
ハロウィーンやサンクスギビングなど、南米の小学校でのイベントが思い出されることが多く、現地らしい食や文化についてお料理を教えてくださったご近所の友人とともに楽しみました。
全校児童はどう思い出しても40人ほど。
毎月のように行われるイベントは、先生と生徒家族総出で行われていました。

この写真はハロウィンの時のもの。
とりあえずプリンセスに変身(笑)
手に持っているのは、当時流行っていた「ワニのアーガイル」のイラストを描いたTrick or Treatのお菓子を入れる自作の紙袋!
生活はポルトガル語、学校は英語、そして家庭ではだんだん怪しくなってくる日本語。そんな語学生活の中、子供ながらにわいてきた国や街の歴史、スーパーの仕組み、流行っていた歌やコマーシャルの中の商品のことなど。些細なことですが、質問することもできず、答えが得られないままふわふわした感覚をずっと持っていました。
さらに帰国後は、飛行機で30時間以上かかる国も情報はますます手に入れにくいものになっていきました。
そんな思いがあったので、次回の滞在中には、現地のレシピ本やテレビの料理番組から季節の食品、習慣から街の行事、スーパーや食品ブランドの名前など、生活の中で気になるもののファイリングを始めました。
その甲斐もあり、実は子供のころ、南米で使っていたお菓子やクリームのブランドは、実は中国でもアメリカでもロゴを同じくして使われていたり、名前が変わっていたりということに気づきました。少し広い視野を持ってみると物流といった視点からも食品を見る機会となりました。
そして日本に帰国後は、改めて和の発酵文化と点心の融合の面白さに魅了され、日本の家庭料理と、海外から見た家庭和食の両方の視点をもつようになりました。関東に住んでいるので、全国がふるさとの気持ちで全国の醤油や味噌といった発酵食の蔵探訪や郷土食を訪ね歩いています。
経歴
- 大手料理教室にてパンとケーキ講師資格取得
- ホシノ天然酵母パン店にて製造・教室アシスタント
- 中国政府 労働和社会保障部認定中国茶中級評茶員(中国にて取得)
- Wilton Method Course 1~3 修了(アメリカにて取得)
- 食品衛生責任者
- NPO法人中国茶文化協会認定 中級中国茶アドバイザー
- 豆腐マイスター/乾物マジックマスター/米粉パンマイスター
- 発酵食品ソムリエ/しろたまりマエストロ/和食文化継承リーダー
最近の私

この新しい木桶はこれから100年以上
味噌醤油作りに活躍してくれます。
- 国内向けに「粉から始まる発酵×点心」オンライン教室
- 訪日旅行者向けに「家庭和食料理教室」(Home Cooking Experiences with Japanese Fermented Seasonings for Visitors )
を主宰。
パン・点心・中華料理・乾物の講習会に積極的に参加し、学びを継続中
「糀のある食生活」を中心に、日々の食卓やレッスンに役立つレシピを開発しています。
関東育ちゆえ、勝手に「全国がふるさと宣言」をして、各地の醤油や味噌といった発酵蔵や名勝を訪ねるフィールドワークを展開中。
さらに地図好きなので地方駅、各地のJA、道の駅に出没すること多々。
さらに、発酵調味料を使った和食を英語で語れるように、日々、発酵に関する英語を学習中。
110年前のアメリカ西海岸の写真が見つかってさらに思うこと

旗から、ロス・アンゼルスにある高校で、1914年度卒業の生徒の記念写真ということがわかりました。
数年前、実家の断捨離をしていたら、本棚の奥から古いアルバムを発見!
中から古いアメリカのハイスクールの学年の集合写真が見つかりました。
(柱の横で一人腕組をしているのが祖父です)
1900年代初頭、4男だった祖父は、当時よくあった県人会やお寺関係の斡旋で、アメリカ西海岸の農場で農業のお手伝いをしながら学校に通わせてもらう、ファーマーボーイとして働いていたそうです。私の父は末っ子ですでに記憶があいまいでしたが、この写真からロス・アンゼルスのハイスクールで、1914年度卒業の学年のクラスメート写真ということがわかりました。
(後日、レッスンに参加してくださったロス在住の方のアドバイスで学校名が判明して、今は卒業アルバムを探しています。)

こちらはロスアンゼルスの東本願寺で撮られた写真。
見る限り、かなりの人数の日本人コミュニティーがあったと思われます。
となると、全員が全く日本食が全く食べられないという環境は考えにくく、和食の調味料も手に入ったり、現地の作ったのでは?と想像が膨らみます。
そこで約10年を過ごし、一時帰国している間に移民禁止法が施行され、再入国がかなわず本帰国。

こんなファミリーストーリーが見つかって以来、1900年代初頭、多くの日系移民の方々がどんな食生活を送られていたのか、とても興味が湧いてきました。父は末っ子で、祖父も早くに亡くなったので、残念なことに直接話を聞く機会はありませんでしたが、当時西海岸でこれだけの人数の日本人がどうやって日本独特の調味料を手にして和食をたべていたのか。これから調べてみたいと思っています。
子どもの頃に海外から帰国した私は、日本の給食に慣れず、和食に戸惑った経験があります。
だからこそ私の家族が海外に住むことになった時、現地の料理やイベントも楽しみつつ、日本式のお弁当をつくったり、季節の行事を取り入れることを心がけてきました。
ないものは多かったですが、現地の食材でも、日本の調味料と少しの工夫があれば大丈夫!
知らない土地でも料理を楽しみ、誰かと分かち合うことで、食卓はもっと豊かになります。
今は日本に戻り、訪日される方にも、日本の家庭料理の楽しさを伝える教室を開いています。
特別な道具がなくても、ご帰国されても自分の手で作ることができる、醤油、味噌といったの“ふだんの味”。
その背景にあるストーリーとともに、一緒に体験してみませんか?
「ないなら作ってみる。作れば、食卓がもっと楽しくなる。」
そんな気持ちで、今日も台所から小さな旅を始めています。
台所で出会う、ほんとうの日本を探しに一緒にでかけてみましょう!
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